こてちゃい都々逸どいどい(どどいつDodoitsu 愛Love Song 笑ってSmile 君Happy)

-君に捧げし都都逸一句。振り向く笑顔を夢見猫-

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この本とても気に入ってしまいました・・・玉川スミさん(三味線漫談家) 「ドドイツ万華鏡」 その1

この本とても気に入ってしまいました・・・玉川スミさん(三味線漫談家) 「ドドイツ万華鏡」 その1



読みました。

ものすごく 気に入りました。

まえがき で まずガツンとやられました。

玉川スミさんは、「三歳の時に少女歌舞伎の市川牡丹という旅回りの一座に、二十七円で売られ」(当時は、二十円も出せば二階建ての一軒家が買えるほどだった)、その後芸能生活一筋。

「学校へなんか行ってません。だから岩波文庫を買い込んでは夜になると読み漁り、字の勉強を続けた」そうです。そして、「十四歳までの間に親の変わること実に十三回。」

実父は将来有望な浪曲師でしたが、巡業先で駆け落ちし、二人の間に生まれたスミさんを連れて歩いたそうです。

小さい頃から、お父さんの影響で唄えたため、評判となり、少女歌舞伎の市川牡丹一座が買いに来ました。

「お前、行く気はあるか」と聞かれ、「おとうちゃんがお酒を飲めるなら行ってもいい」と答えたら、お父さんは、膝の上にスミさんをのせ、大きな声を上げて泣いたそうです。

そして、その日から、いろいろな唄、芸をきびしく叩き込まれました。

三歳の時から舞台に立ち、都々逸や、安来節を唄わされたそうです。

「蛸に骨ない~ナマコに目がない わたしゃ子供で色気ない」

たくさんのおひねりが とんできたそうです。

当時の庶民の娯楽は 巡業一座による 芝居や踊り、都々逸や安来節、小唄、長唄・・・

特に 「安来節が全盛でしたが、」都々逸も「各劇場で唄わない芸人はいないほど流行していた」そうです。


「長い歌詞なんて誰にでもつくれます。でも、七五調に思いを封じ込めるのは、けっこう難しい。だけど面白い。七七七五の世界に思いを込めて、すべてを伝える。明瞭完結。」・・・

・・・「昔の人は楽しんで都々逸をつくっていました。お座敷に行くと、コレ、唄ってくれよ。とお客さんがつくった都々逸をよくいただいたものです。」・・・

・・・・「大臣であろうが平民であろうが、誰もが唄って楽しめるのが都々逸なんです。大衆の心だったんですよ。」(P.16~17 引用)


当時は奥さん方の間で都々逸のお稽古が盛んだったそうで、三味線が嫁入り道具のひとつだったそうです。


「都々逸をつくれるようになれば、人の心がわかってくる。人情がわかってくる。情というものが二十六文字の世界にしっかりと、濃密に刻み込まれているわけですから、この直撃弾を受ければ、いまの世の中からギスギスした人間はいなくなりますよ。・・・」(P.19 引用)

「いまからでも遅うはございません。ぜひ、都々逸の世界を知ってくださいよ。のぞいてくださいよ。上手、下手などは関係ありません。小難しいウンチクもいりません。
都々逸は遠く江戸の時代から、大衆の心、庶民の楽しみとして伝えられてきた、すぐれた“言葉のあそび”なのですから。」(P.19 引用)


玉川スミさん(三味線漫談家) 「ドドイツ万華鏡」いま伝えたい小粋な言葉あそびの世界 くまざさ出版社

上席・おスミの古典都々逸遊覧船
  中入り・ペーパー漫談とおたのしみ1

中席・おスミの都々逸十八番
  中入り・ペーパー漫談とおたのしみ2

下席・おスミの都々逸2000年問題

都々逸の唄い方




~その2 につづく~


kotehanadan1  では、しばらくドドイツ万華鏡にひたります。こてちゃいでした。

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こてちゃいでございます。都々逸(どどいつ、都々一、都々いつ、都都逸、都都一、都度逸、ドドイツ、どゝ一、どゝいつ、どゞいつ、とゞいつ、どど一、どゝ逸、度々逸、度々一、百々逸、登々以津、東都一、・・・)。素人です。かなりいい加減なやつですが、よろしくお付き合いください。

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