こてちゃい都々逸どいどい(どどいつDodoitsu 愛Love Song 笑ってSmile 君Happy)

-君に捧げし都都逸一句。振り向く笑顔を夢見猫-

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日本語パングラムpangram初めて作った、おめでとう。「みのりゆたかに、とおくへきずな・・・」

「みのりゆたかに とおくへきずな しあわせひろめる はつもうで いそやほんむね さちをよぶこえ まけられぬ」

「実り豊かに 遠くへきずな 幸せ広める初詣 磯や本棟 幸を呼ぶ声 負けられぬ」

(被災地を含めたこの国がきれいな磯を取戻し、仮屋ではない本棟(むね)で、落ち着いて生活できるとよいですね! という気持ちを込めました)

 のりゆたかに

 おくへきずな

 あわせひろめる

 つもうで

 そやほんむね

 ちをよぶこえ

 けられぬ


折り込みは

みとしはいさま (みとしはいざま)

(みとしはいざま、巳年は居様)巳年のヘビが座っているようす
(なんだかよくわからんが、めでたいなぁ、「いさま、いざま」を辞書で探しました(^_^;))

いろは歌から、ながれ、ながれて、パングラム(pangram)になりました。
パングラム(pangram)、初めてです。
お正月らしいもの、折り込みに巳年を入れたい、プラスのイメージ・・・
七五調(7、5調)にしたい、都々逸一句入れたい・・・

後半、残った文字を使用するのが難しかったです。
最後はもう、こじつけです・・・
時間もかかりました。
ついつい、夕飯の支度をしながら・・・
カリフラワーがどろどろになってしまいました(^_^;)
最初で最後かもしれません(―_―)!!

作り方は、

・46字をすべて入れます。

・くりかえし使っては、いけません。

・濁音(が、ぎ、ぐ、げ、ご・・・等)にしてもOK

・半濁音(ぱ、ぴ、ぷ・・・等)にしてもOK

ただし、

・拗音(ようおん)や、促音(そくおん)も1文字にカウントします。

ルールにつきましては、

「パーフェクト・パングラム・デスク」様のサイトを参考にさせていただきました。リンクさせていただきます。


エクセル(Microsoft Excel)で、作ってみたらどうでしょう。

pangram_kotechai20130107_1.jpg

46字 仮名(かな)表です
46字仮名

字数は、46ですから、都々逸2句つなげるというわけにもいきません。
最後は、でも、5文字がきりがよいような気がしたので、
前半都々逸調で、
7775 は
7785
8775

でもよいので、結局

7, 7, 8, 5, 7, 7, 5

にしました。

字数

ファイル作ってる間に、内容を吟味した方がよかったですね(^_^;)

エクセルのファイルのダウンロードが何かあっては心配でしたので、画面上ではやめました。

必要でしたら、ご連絡ください。(あまり大した内容ではありませんね(^_^;))

他の方が作ったパングラム拝見しますと、上手にきれいに作ってらっしゃいますね。

都々逸の折り込みもなかなか作れずにいます。





☆いろは歌の暗号 とは
「いろはにほへと・・・」を七文字ごとに区切って書くと、最後の文字が「とか(が)なくてしす(咎無くて死す)」になるという。他にも・・・

※いろは歌
「いろは歌」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』最終更新 2012年12月30日 (日) 11:35より下記引用
 いろは歌(いろはうた)とは、すべての仮名を重複させずに使って作られた誦文
七五調の今様の形式、・・・手習いの手本、・・・仮名の配列は「いろは順」として中世から近世の辞書類や番号付け等に利用された。
・・・「いろは」は初歩の初歩として、あるいは仮名を重複させないもの、すなわち仮名尽しの代名詞としての意味も持つ。・・・


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「鮎は瀬に」「鯉は瀬に」・・・「瀬にすむ」「瀬に棲む」「瀬に住む」「瀬に付く」・・・

2013年1月1日


●「鮎は瀬にすむ、鳥は木(樹)にとまる、人は情けの、下に住む」
Ayu wa se ni sumu, Tori wa ki ni tomaru, Hito wa nasake no, Shita ni sumu

あるいは

●「鮎は瀬につく(付く)、鳥は木にとまる、人は情けの、陰に住む」
Ayu wa se ni tsuku, Tori wa ki ni tomaru, Hito wa nasake no, Kage ni sumu

 等々・・・


●字余りなしの、都々逸
「鮎は 瀬にすむ(つく)、鳥木にとまる、人は情けの、下に住む」(7,7,7,5)

鮎は、瀬にすむ(7 (3,4))
A yu wa, se ni su mu,

鳥 木に、とまる(7 (4,3))
To ri ki ni, to ma ru,

人は、情けの(7 (3,4))
Hi to wa, na sa ke no,

下に住む(5)
Shi ta ni su mu


●五字冠り都々逸、鮎唄(あゆうた、Ayu-uta、あゆ歌、アユ唄)

「鮎はな~、鮎は 瀬にすむ、鳥ゃー(とりゃー)木にとまる、人は情けの、下に住む」

鮎はなあ~(5)
A yu wa na a

鮎は、瀬にすむ(7 (3,4))
A yu wa, se ni su mu,

鳥ゃー木に、とまる(7 (4,3))
To ryā ki ni, to ma ru,

人は、情けの(7 (3,4))
Hi to wa, na sa ke no,

下に住む(5)
Shi ta ni su mu


鮎唄(あゆうた、Ayu-uta、あゆ歌、アユ唄)というのは、

○「鮎うた」三田村鳶魚全集 第20巻、中央公論社、昭和58年10月、P.197-198より引用
・「娯楽の江戸」三田村鳶魚 著 (恵風館, 1925)、ではP236

「鮎うた」
舞臺の上の新宿
・・・甲駅夜の錦(洒落本)に、「あけはやく魚の市場(大木戸にあつた)へいそぎ行(ゆく)、若鮎荷なううたの聲、あゆはナアーあゆは瀬にすむ、鳥(とり)ヤアー木にとまる、人はなさけの下にすむ」とある。この唄は古いもので天和の頃に流行ったものだ、無論文句はこれに限つたのではない、途中で狐に憑かれない為めだといつて、鮎の荷を擔いだ(かついだ)人夫は夜通し唄ひ續けて來たものだ。・・・

天和の頃とは、(1681~1684)

「甲駅夜の錦」(霞亭文庫)(こうえきよるのにしき、koeki yoru no nishiki) 、 宇治茶筌 (うじちゃせん、uji, chasen)、十字亭(じゅうじてい、jujitei) 画 、1801-1804年(享和頃)

この本でしょうか。どこに載っているかが、探せないでいます・・・

○あゆうたについては、MANA事典“MANAしんぶん”参考になりました。
  ・「多摩のあゆみ」110号(飯田孝 氏)


「鮎」もあれば「鯉」もある


●作曲家シドニー・ジョーンズ( Sidney Jones )が1896年に書いた「ザ・ゲイシャ」(芸者,The Geisha)というミュージカル・コメディ(台本 ホール、作詞 グリーンバンク)の第2幕の「ジャパニーズ・マーチ(日本行進曲, Japanese March)」の歌詞
 “The geisha” Light opera (Musical comedies, Operettas)
libretto by Owen Hall, lyrics by Harry Greenbank, music by Sidney Jones

Act Ⅱ

ENTRANCE OF CHORUS  “Japanese March”

Koi wa se ni sumu,
Tori wa ki ni tomaru,
Hito wa nasake no
Kage.
Koi wa se ni sumu,
Tori wa ki ni tomaru,
Hito wa nasake no
Kage, Kage, Kage, Kage ni.


これを、漢字を当てれば

「鯉は瀬にすむ、鳥は木にとまる、人は情けの陰
 鯉は瀬にすむ、鳥は木にとまる、人は情けの陰、陰、陰に~」



鮎の瀬付(瀬付き、せつき、せづき)もあれば、鯉の瀬付も。


○せつき【瀬付き】(せづき)、『大辞泉』松村明監修、小学館、1998年、P1492より
魚が瀬に集まること。特に、アユやウグイなどが産卵のため河川の小砂利の瀬に集まること。

「鯉」も「恋」も ”Koi”

「鯉つかみ」※1というのもあったらしいですし、

鯉つかみ=恋つかみ (Koi-tsukami = Koi-tsukami)

ヨーロッパでは淡水魚の釣りと言えば鯉釣りを指すほどで、イギリスでは日本のバス・フィッシング人口に匹敵するほどだそうです。(Wikipediaウィキペディア日本語版「コイ」「鯉」参照)※2

海外の方相手の時は、お座敷で「鯉は瀬にすむ(つく)~」と唄っていたかも?

※1 鯉つかみ
○「鯉つかみ」三田村鳶魚全集 第20巻、中央公論社、昭和58年10月、P34-36
元禄八年(1695年)「浪花の田鶴」に、座興の鯉つかみの失敗の話

○こい‐つかみ【鯉掴み】『大辞泉』松村明監修、小学館、1998年、P874より
歌舞伎狂言の一系統。水を使い、鯉魚(りぎょ)の精と役者が水中で格闘する演技を主題とするもの。夏芝居として江戸で盛行。

1862年「鯉つかみ」芳滝(早稲田大学演劇博物館浮世絵閲覧システム)

※2「コイ」鯉Koi『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』最終更新 2012年11月8日 (木) 00:41 参照

○「こい」鯉、『大辞泉』松村明監修、小学館、1998年、P873より引用
コイ目コイ科の淡水魚。
全長約60センチ。体は長い筒形で背から腹へかけての幅が広く、長短二対の口ひげがある。野生種は、背部が蒼褐色、側面から腹部が黄褐色で光沢がある。平野部の河川・湖沼にすむ。食用・観賞用に広く飼養され、ドイツゴイ・ニシキゴイ・ヒゴイなど多くの品種がある。


「アユ」鮎Ayu『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』最終更新 2012年12月2日 (日) 14:47 参照

○「あゆ」鮎、年魚、香魚『大辞泉』松村明監修、小学館、1998年、P81より引用
サケ目アユ科の淡水魚。
全長20~30センチ。体は細長く紡錘形で、脂びれをもつ。背側は緑褐色、腹部は銀白色、胸びれ上方に黄金色の斑紋がある。秋、川の中流域で産卵。稚魚は海へ下って越冬し、春、川を上り、藻類を食べて成長する。夏に美味。あい。こうぎょ。
[補説]寿命が1年であるので「年魚」、香りがあるので「香魚」と書く。


●「瀬にすむ」は、「瀬に棲む」か

・棲む(すむ)
(棲む)動物が巣を作って、その中で生活する。生息する。「水辺に―・む鳥」


●各地の民謡、盆踊

○相馬二遍返し(そうまにへんがえし、福島)
「相馬北方二遍返し」(そうまきたかたにへんがえし、福島)
第四句の五文字(鮎は瀬に~では、「下に住む」)を二度繰り返すところから二遍返し。北方と南方の二種あり。

 ※ 日本の民謡 曲目解説<福島県> そ~み 「暁洲舎」様サイト

佐渡の民謡 歌詞(佐渡おけさ)「佐渡の民謡」-唄と人と歴史- 様サイト (リンクさせていただきます)

○大正寺おけさ

○長久保甚句
線翔庵 様サイト (リンクさせていただきます)
「鮎は瀬につく 鳥は木の枝で 人は情けの 下で住む」

○出雲崎おけさ唄 様サイト(資料提供:出雲崎町観光協会) (リンクさせていただきます)
出雲崎おけさ唄と<はやし文句>
 「鮎は瀬にすむ 鳥は木にとまる 人は情けの ソーレ もとにすむ」


○切口説
山家踊り(やまがおどり)Wikipedia「ウィキペディア日本語版」最終更新 2011年7月17日 (日) 14:03 より引用

 切口説とは7・7・7・5文字で一節ごとに意味の切れる都々逸などを口説くもの

切口説 逢えば心も~御山御嶽
口説集 サイト様  (リンクさせていただきます)
「鮎は瀬にすむ 鳥ゃ木にとまる 人は情けの 下に住む」

○石搗唄(いしつきうた)本田善郎氏 民謠収集旅行記録No.8 Zeami 様サイト
「あー鯉は瀬にすむ~」

遠山の盆おどり「源吾兵衛」(げんごべい)
南信州遠山 様サイト (リンクさせていただきます)
「鮎は瀬にすむ 鳥りゃ木にとまる ヤレ人は情けの 下に住む」

○ワシモ(WaShimo)様サイト (リンクさせていただきます)
- 五箇山の民謡 -麦や節・歌詞
「鮎は瀬につく 鳥は木に止まる 人は情の 下に住む」


●「鮎は瀬に住む鳥ゃ木に止まる人は情けの下に住む」の意味

○人の情けにすがるのは自然なことで、恥ずかしいことではありませんよ。好意は遠慮せず素直にお受けなさい。

「落語・講談によく出ることば──話芸“きまり文句”辞典 」編:松井高志 様サイト
  あたしが面倒見るから・・・

「現代青年の為めに : 修養教訓」高萩章 著 (米本書店, 1923)国立国会図書館デジタル化資料 インターネット公開(保護期間満了)
  目次:◇鮎は瀨につく鳥は木にとまる人はなさけの下にすむ…(キリスト)博愛


途中ですが、ここまでで。

中途半端ですが、年内アップしました。修正していきますので、よろしくお願いいたします。
また、ご迷惑をおかけしているようなことがありましたら、おそれいります。ご連絡をいただけますと、幸いです。


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[ 2013/01/01 22:06 ] その他 鮎は瀬に | TB(0) | CM(0)

拳(けん)いろいろ、世直し拳、三職世直し拳、道外 地しん拳、初午狸拳、交拳、虎拳、お廻リ拳、ヨイヨイ拳、虫拳、ナンコ拳、ウントコ拳、狐拳、藤八拳、ぢゃん拳、まくら橋拳、幕の内拳、粟餅拳などと・・・「拳会角力図会」「拳乃けいこ」他、錦絵や

12月25日更新

ウントコサンシャ! ジョキジョキサンシャ! パラパラサンシャ!
ぐー! チョキ! パー!
石! はさみ! 風呂敷(ふろしき)!

untokosansha! jokijokisansha! paraparasansha!
(untokosansya, zyokizyokisansya,paraparasansya)

「拳(けん)」が大流行していたのですね。
「拳会角力図会」では、そのにぎわいぶりにびっくりします。
わたくし自身は、拳を学んでいる者ではありませんが、なんだかおもしろいなぁと思いまして・・・。

以下、国立国会図書館デジタル化資料 インターネット公開(保護期間満了)より引用、ページ番号はデジタルのです。

拳乃けいこ 錦絵 一勇斎国芳 (若狭屋) 収載資料名:東錦絵

拳乃けいこ(けんのけいこ)錦絵
拳乃けいこ(けんのけいこ)錦絵
 酒ハけん酒(さけはけんざけ)・・・ (酒を注ぐふりをして)、いろ品ハ かいる(かいるのまねをして)、ひとひょこ みひょこひょこ (三度 とぶなり)へび ぬらぬら(首をふり かづらたつなり)なめくでまいりやしょ じゃんじゃかじゃんじゃか(右の手をにぎり、左の手をひろげて・・・四度) じゃんけんな(子供のじゃんけんを・・・) ばさまに(婆様に?つえをつきて左の手を腰へまわすなり)和藤内がしかられた とらがはう/\ とてつるてん 狐でサアきなせ

※ 弘化四年(1847)の春狂言の河原崎座の所作、「笑門俄七福(わらうかどにわかしちふく)」に、「所作拳」というのがあり、これがトテツル拳といって、大流行になって、明治まで持ち越したそうです(~明治18年(1885)の春)。(文句から、虎拳からの思いつきだろうとのこと)(三田村鳶魚全集第20巻「横浜産のチョンキナ」P292-293参照、第19巻「伝統した明治初年のトテツル拳」P188-200参照中央公論社、昭和58年10月)

酒はけん酒、色品は、かいる一トひよこ三ひよこ/\、蛇ぬら/\なめくで参りやしよ、ソレじやんじやか、ジヤンジヤカ/\じやんけんな、ばさまに和藤内がしかられた、虎がはう/\、とてつるてん、狐でサアきなせ。

この頃は、春の家草丸によって、狐拳が藤八拳と改称され、ようやく流行し始め、のちには拳といえば、狐拳・藤八拳のことに思われるようになる。
文句に、蛙や蛇を持ち出しているのは虫拳で、狐で来いというのは狐拳のこと、けん酒は拳酒、酒間に拳を打って、負けた者が飲ませられる趣向だった。

 その翌年の春は中村座で、翌々年の春は市村座、三年つづけて、三座で所作拳を出して、いずれも大入大当り、踊りながら拳を打つことが盛んになった。

・嘉永二年の三国拳
 おまへ女の名でお伊勢さん、神楽がお好きで、とつぴきぴイのぴい、・・・

・三仏拳
 おまへ西方阿弥陀如来、木魚がお好きで、ぽんぽこぽんのぽん・・・

・世直し拳(よなおしけん)
 ことしや世直し元日に、めでたくとつた年男、ふくは内外に・・・

・兎拳
 さても今度の流行物、皆さん御存知、うさ/\と、茶殻らきらずの御馳走で、月に浮かれて飛びはねる、とくさがお好きで締こで、さアきなせ。

・薩摩拳
 南無らんぼうやぼだらきやう、さてこれからいよいよはじまる、お経のもんくは何でありませうなら、薩州鹿児島騒動巴咄しで、・・・

・すててこ拳
 さても諸席の大入は、立川談志の十八番、郭巨の釜ほり、テケレツパア、おいてるれんてる、・・・
 
・開帳拳
 さても今度のお開帳、利益も深川成田山・・・


世直し拳 錦絵 収載資料名:地震錦絵

世直し拳錦絵
世直し拳 錦絵
 二上り〽 十月の二日の夜、とんだなまづ(なまず)がふざけ出し、どろどろごろごろおとました(?)・・・
(※注意※ いいかげんによんでます)


三職世直し拳 錦絵 収載資料名:地震錦絵

三職世直し拳錦絵
三職世直し拳 錦絵
 神のお留春(るす、留守)を徒計古(つけこ)んで、のらくらなまづが(なまずが、鯰が)ふざけ出し、あとの志末川(しまつ、始末)をあらためて世直し/\たてなおし・・・
(※注意※ 字まちがってるかもしれません)


道外 地しん拳 錦絵 収載資料名:地震錦絵

道外 地志ん拳(地震拳)錦絵
地志ん拳(じしんけん、地震拳)錦絵
 おまへ女の名でお女郎(おまえおんなのなでおじょろう)・・・


地震けん 収載資料名:江戸大地震之絵図
地震けん
地震けん
 さてもこんどの大ぢしん・・・

東大の「小野秀雄コレクション」に全文がのっています。参照されるとよいかと思います。

小野秀雄コレクショントップページ>鯰絵 10 地震けん 安政2年10月


「初午狸拳」錦絵 一英斎芳艶 (相ト, 文久1) 収載資料名:役者似顔絵帖

初午狸拳錦絵
初午狸拳 錦絵
 ・・・たいこのどんつく どん どんつくどん ○○けぬたぬきのはらつづみ、はらつづみ、どんつく、ぽんつく、どんつく、○○ あんまり だだいて(たたいて) たんたんたぬきの はらがやぶれて これでも きつねにゃ まけやせぬ さあきなせ
(※注意※ デジタルの上の方がきれてます。さらに、いいかげんによんでます)


●1809年「拳会角力図会」(けんさらえすもうずえ、ケンサラエスモウズエ)

浪花義浪・浪花吾雀編、(江戸通油町)村田屋治郎兵衛・(大坂心斎橋)河内屋太助、文化6年
浪花粕長者童蒙叟 序

拳会角力図会P9
拳会角力図会 拳会之図 P9より

拳会角力図会P10
拳会角力図会 拳会之図 其二 P10より

拳会角力図会P11
拳会角力図会 会席之図 P11より

拳会角力図会P14
拳会角力図会 土俵之図 P14より

拳会角力図会P17
拳会角力図会 P17より

拳会角力図会P21
拳会角力図会 P21より

拳会角力図会P23
拳会角力図会 P23より

拳会角力図会P24
拳会角力図会 P24より

拳会角力図会P27
拳会角力図会 P27より

拳会角力図会P30
拳会角力図会 P30より

拳会角力図会P32
拳会角力図会 P32より

拳会角力図会P35
拳会角力図会 P35より

拳会角力図会P41長崎丸山之図
拳会角力図会 長崎丸山之図 P41より

拳会角力図会P44
拳会角力図会 P44より

拳会角力図会P47太平拳之図
拳会角力図会 太平拳之図 P47より

拳会角力図会P49とら人拳之図
拳会角力図会 とら人拳之図 P49より

拳会角力図会P51庄屋拳之図
拳会角力図会 庄屋拳之図 P51より

拳会角力図会P52むし拳之図
拳会角力図会 むし拳之図(虫拳)P52より

拳会角力図会P53虎拳と交拳
拳会角力図会 「交拳」(まぜけん)と「虎拳」(とらけん)P53より

和藤内(わとうない)、母親、虎
和藤内ハとらに勝ちとらハ母親にかち母親ハまた和藤内に勝なり、勿ろん○○(あいこ?)あるべし

拳会角力図会P54虎拳之図
拳会角力図会 虎拳之図 P54より


↓ 「七拳」というものの奥義書かと思ってしまいました。

ジャンルが滑稽本になっている

●1830年「七拳図式」  大田南畝(おおた なんぽ)[他] (西村源六, 文政13)

「七拳図式」七拳の図-1
「七拳図式」七拳の図-阮籍(げんせき)

「七拳図式」七拳の図-2
「七拳図式」七拳の図-嵆康(けいこう)

「七拳図式」七拳の図-3
「七拳図式」七拳の図-山涛(さんとう)

「七拳図式」七拳の図-4
「七拳図式」七拳の図-向秀(しょうしゅう)

「七拳図式」七拳の図-5
「七拳図式」七拳の図-劉伶(りゅうれい)

「七拳図式」七拳の図-6
「七拳図式」七拳の図-王戎(おうじゅう)

「七拳図式」七拳の図-7
「七拳図式」七拳の図-阮咸(げんかん)

「竹林の七賢」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』最終更新 2012年7月21日 (土) 00:09 より引用
 竹林の七賢(ちくりんのしちけん)とは、3世紀の中国・魏(三国時代)の時代末期に、酒を飲んだり清談を行なったりと交遊した、七人の称。

「大田南畝」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』最終更新 2012年9月17日 (月) 04:27


●1893年「粋人遊びの友」
愛花情史 編[他] (中島抱玉堂, 1893) 明治26年

・ 拳/8
・ 打拳の心得/9
・ 藤八拳/11 デジP13-14
藤八拳(とうはちけん)は藤八と云ふ人が初めて思い附いたのか何様だか、そんな事は知らないが、・・・庄屋、狐、鉄砲の・・・

・ ヨイヨイ拳/13 デジP14-15
   ヨイ/\拳は甲乙二人の打人さし向かひに座り、最初二人が聲(声)を合はしてヨイ、/\、/\と云ふ時、指を平にのばしたる儘(まま)左右の手を膝の上にて三度互違ひ(たがいちがい)に上げ下げし、それに続いて直様(すぐさま)ヨイトサツサツサ(ヨイトサッサッサ、yoitosassassa)と云ひながら三度手を打ち又それに続いて直様(すぐさま)チョイ/\トキタと云ひながら狐鉄砲庄屋のうち何れなりとも一つを打出し、アイコか勝か負かを見定むるや否や、アイコならば甲乙共にアイダナと云ひ、勝負あらば勝し方(かちしほう)は一拳ナと云ひ負けし方はワルイナと云ふ、其掛声を為すうちに手を左の膝の上にて三度たたき、直様(すぐさま)またチョイ/\トキタと云ひつつ鉄砲庄屋狐の内(うち)一つを打出し其結果によりてそれぞれの掛声をなしながら手を其間に三度打ち、それより又チョイ/\トキタと云ふ風に幾度も繰り返へしてやるなり、而して其内に(しかしてそのうちに)三度つづけて勝てば即ち勝利者なり

・ 廻り拳(まわり拳)/15 デジP15
     「お廻りホイ」

・ ナンコ拳/17 デジP16 (何個? ということでしょうか・・・・)
   此拳は誰にも最も学び易く且つ熟練を要する事少き(ことすくなき)故初学者は先づ此拳を学びて声の出し方なぞに熟すべし、其遊び方は先づ甲乙二人各自(めいめい)杉楊枝(すぎようじ)一本を三ツに折りて之を所持し、はじめ其一方甲より一本又は二本又は三本、何れなりとも随意(ずいい)に數を握りて前にさし出して、コレ三(さん)と云ふ、其時(そのとき)他の一人乙も亦(また)思ふ丈の數を(思うだけの数を)握りて手を前に出し、甲乙合併(こうおつがっぺい)の數(数)を云ひ當てる(いいあてる)なり、・・・・・・
 ・一本もなきを、空(から)、又はポスなぞ云ふ(など言う)
 ・一本をヒトツと云ふ(言う)
 ・二本をフタツ又はリヤン(リャン)なぞ云ふ(など言う)
 ・三本は三(さん)の他を云はず(言わず、言わない)
 ・四本をヨツ又はソデなぞ云ふ
 ・五本をイツ、又はウメ或はゲンコなぞ云ふ
 ・六本をムツ、カイド又はミナなぞ云ふ
・・・・・・

・ ウントコ拳/20 デジP18
   此拳は甲乙二人対座し最初ヒイフウミイと云ふ時双方共に右の手を握りて三度上下(うえした)に振り(肩と膝との間にて振る)、甲より打ち始むる場合なれば、乙は手を握りたるまま膝の前に突き出して甲より仕掛けて来るを待つ、其時(そのとき)甲は、握つて出したる右の手を一度肩の處(ところ)まで返し、急に手早く其手を元の膝の前におろす時、ウントコサンシャ(石(いし))(untokosansha、untokosansya)と云ふて握拳(にぎりこぶし)を其儘(そのまま)出すか、ジョキジョキサンシャ(鋏(はさみ))(jokijokisansha、zyokizyokisansya)と云ふてヒトサシ指とタカタカ指の二本を出すか、又はパラパラサンシャ(風呂敷(ふろしき))(paraparasansha、paraparasansya)と云ふて五本の指をひろげて出すか、右三つの内一つを打出す、・・・・・・


「粋人遊びの友」藤八拳
粋人遊びの友」藤八拳


●1893年「遊芸」
松室八千三 編 (鹿田書店, 1893)明治26年

遊芸表紙

・ 拳会指南 デジP79-
・ 本拳打様之事
・ 掛声之事
・ 指の出様之事
・ 指の出様之事図解
・ 藤八拳

・ 廻リ拳 デジP82
  廻り拳は甲乙共に立上り初めはヨイ/\/\(よいよいよい、yoiyoiyoi)と云ふて胸の處にて両手を三度上げ下げしヨイキタホイ(yoikitahoi)と云ふて藤八拳の如く打出し勝ちたものがヲマワリ(おまわり、omawari)と云へは負(まけ)たるものは一廻り(ひとまわり)してただちに亦(また)打出すものなり其勝負は甲乙いつれか閉口せしものを負けとするなり

・ ヨイヨイ拳 デジP82
  ヨイ/\拳は初めヨイ/\/\(よいよいよい、yoiyoiyoi)と云ひて膝の上にて手を三度上げ下げしヨイトサヽヽ(よいとさささ、yoitosasasa)と云ひて手を三度打ちチョイ/\トキタナ(ちょいちょいときたな、choichoitokitana、tyoityoitokitana)と云ふて藤八拳の如く打出すなり其掛声は異なれども勝負は藤八拳と同じ但シ三度つヽけて(続けて)勝ちたるものを勝とするなり

・ 虎拳 デジP82

・ 虫拳 デジP83
  蛙、蛇、蚰延(なめくじら)、なり其勝負は蛙は蚰延に勝ち蚰延は蛇に勝ち蛇は蛙に勝つなり其指の出様は圖(図)の如し

虫拳


●1921年「是丈は心得おくべし : 宴席座興かくし芸」
(続実用叢書 ; 第2編) / 加藤美侖 著 (誠文堂, 1921) 大正10年

第九 けんの独稽古 (拳のひとりけいこ)P81 より引用

▼けんの稽古「よいよい/\、よいやさ、きたさ」三味線の調子も面白く、威勢の好い掛声で、陽気に酒を発し、けんも亦(また)宴席藝の上乗(じょうじょう)である。理屈は別にむづかしくないが、要は練習一つのもの故、折があったら真似をするやうにしていれば、何時の間にか覚える。

▼けんのいろ/\ 東八拳、うんとこ拳、ぢゃん拳、お供拳、ちょんぬけ拳などと拳にもいろいろある。独稽古の方法を説く前に、先づその一つ一つの要領を茲(ここ)に説く。

▼狐拳の打ち方 まづ凡ての拳の本元ともいふべきが此狐拳で、・・・



●1918年「あごはづし : 抱腹絶倒」青文堂、大正7年

「まくら橋拳」(まくらばしけん)
文句「二ツならべし枕ばし、むかしは六郷(ろくごう)の渡し船、大師まいりか横浜かどちらでもえいじゃないか、チョチョンがホイ」


「幕の内拳」(まくのうちけん)
文句「手拍子揃えて花やかに、舞の手に合す〆太鼓(しめだいこ)、誰も見に行く花の顔、ちらと見染めて幕の内その花かたげて子鳥足(ちどりあし)」


「蝶きな拳」(ちょうきなけん、ちょんきなけん)
文句「蝶来な蝶来な、蝶々来な/\ 蝶が菜の葉で ヨヽイがホイ」
(ちょうきな、ちょうきな、ちょうちょうきなきな、ちょうがなのはで、よよいがほい)


「粟餅拳」(あわもちけん)
文句「粟餅(あわもち)やナンダイ/\(なんだい、なんだい)粟餅やナンダイ/\(なんだい、なんだい)粟餅やこつきな、こつきたら、こつきな」


「お上げのお手を」
先づ狐拳を一拳打ち夫(それ)より「お上(うえ)のお手をちょいとお突き」とか「そのお突(つき)のお手をちょいとお上(うえ)」とか先方のかけたる聲(声)の反対に出たら勝にて其掛聲に釣(つり)こまれたら負なり。


「供せ供せ」(ともせともせ)
 一拳勝負にて其勝ちたる者は旦那となり負けた者はお供となり、旦那「供せ/\」と云へばお供は何を持って供しよう」と云うと旦那は丁稚になりて供せとか燭台持って供せいとか注文をすると、お供はその命令どおりになりて座敷を一とまわりて御供「旦那旦那ここらで一拳まいりましょ」、旦那「許して遣す(つかわす)」と云ふて及(および)チョチョンがホイの三拍子に拳を打つなり。


「お廻り拳」
 これは勝者が「お廻り」と云うと負者(はいしゃ)はクラリとクルリと一度廻り、又たロヤサにて拳を打つなり。

「墨つけ拳」
負けたる方は顔に墨を塗らるるなり。


●1921年「日本の俗謡」(日本歌謡叢書 ; 第8編) / 藤沢衛彦 編、日本伝説叢書刊行会、大正10年
インターネット公開(裁定)

・ 三國拳(三国拳) デジP54 
おまへ女の名でお伊勢さん、神楽がおすきでとつぴきのぴ、獅子はもろこし孔子様、てん/\天竺お釈迦様、丸くおさまる三國拳、なんのこつた、しやぶ/\お髭をなで/\ぐるりとまはつて一けんしよ。
(おまえ女の名でお伊勢さん、神楽がお好きでとっぴきのぴ、獅子はもろこし孔子様、てんてん天竺お釈迦様、丸くおさまる三国拳、なんのこった、しゃぶしゃぶおひげをなでなでぐるりとまわって一拳しょ)





拳遊びは「三すくみ拳」と「数拳」に大別されるそうです。

江戸庶民の間で拳は大流行、風刺画も数多く制作され、三者の力関係を描きやすい「三すくみ拳」は、風刺画にもよく取り入れられたそうです。

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HOME > 特別展・企画展 > 過去の特別展・企画展 > 拳の文。化史 〜ジャンケン・メンコも拳のうち〜


●「拳唄の流行」三田村鳶魚全集第20巻、中央公論社、昭和58年10月
P295-296 より引用

 長崎から車応という拳の上手が、文化度に江戸へ出て来て、急に流行し出し、天保・弘化にはすこぶる盛んなものになった。その流行に乗って、三座の所作拳も大当りだったのであろう。「色里けん唄」や「だちうぶし」という瓦版が、数種残っている。
これは三座の所作拳の後、チョンキナの前のものらしい。

〽おそめは久松をくどいたちう、いやというのがおらやだちう。
 はやし〽やだちう/\といはねへもんだちう。

〽しんじついやではなけれども、しうにたいしておらやだちう。
 はやし〽やだちう/\といはねへもんだちう。

これは天保の末の流行唄なのだが、拳唄として持ち出されたものらしい。大阪版にも、「江戸よし原、はやりうたかはりもんく、やだちうぶし」「中の芝居狂言文句、色里中大はやりやだ中ぶし」等数種あるのを見ると、江戸から上方へはやっていったらしい。そうした拳唄は、当時吉原はじめ、江戸の遊所で流行したと見える。また新版けん唄「伊那せぶし」というのもあります。

〽さすがへ/\、お武家のたしなみや、けんじつやはらか、せんせいの、アノどうしやうで一寸代げいこ、わしがてのうちをおみちんし。

〽たんぼやりやり、めんきょとりや、ほまれか、まいったまいったしんけんしょ。

 ・・・これは安政の流行唄なのですが、拳唄の景気に誘われて出て来たのでしょう。
 拳の流行から、拳唄が興ぜられる。
物の順序としてはそうありそうだが、その拳唄から本牧のチョンヌケに走った。
横浜でも最初は都々逸拳で、拳の間を唄ったのであるが、チャブ屋の剛の者は、チョンヌケチョンヌケで唄うのでもない。・・・(以上 一部引用)


●「浮世絵標準画集. 第10巻 (北斎)」
井上和雄 編 (高見沢木版社, 1932)
「三すくみ」 1848年(嘉永元年)(北斎)

三すくみ嘉永元年
「三すくみ」 1848年(嘉永元年)(北斎)


●1944年「明治のお伽噺. 上巻」
巌谷小波 著[他]、小学館
「三すくみ」
明治のお伽噺「三すくみ」
「明治のお伽噺. 上巻」三すくみ デジタルP83


●1951年「じゃんけんぽん」福島のぶを 文[他] 、ます美書房、昭和26年
インターネット公開(許諾)
じゃんけんぽん表紙
じゃんけんぽん表紙

じゃんけんぽん
じゃんけんぽん(なんだか かわいい・・・)

おててが 三ぼん
いっしょうけんめい
じゃんけんぽんよ
いし かみ じゃんよ
あいこで ぽんよ
もいちど ぽんよ
だれかが きっと
かったでしょう



ちょんきな、チョンキナ、Chonkinaの記事もご覧くださいませ。


「拳遊び」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』最終更新 2012年11月11日 (日) 18:28

「東八拳」さんのホームページ

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[ 2012/12/25 13:37 ] その他 拳(けん)Ken | TB(0) | CM(0)

12月3日修正、蝶ン来ナ、ちょんきな、チョンキナ, Chonkina, Tyonkina、・・・狐拳き、とてつる

12月3日修正


  蝶ン来ナ蝶ン来ナ 蝶ン/\ 来ナ/\ 蝶が菜で 蝶々がホイ

  (ちょんきな ちょんきな ちょんちょん きなきな ちょんが なのはで ちょちょんがほい)

(チョンキナ チョンキナ チョンチョン キナキナ チョンガ ナノハデ チョチョンガホイ)

(chon kina! chon kina! chon chon kina kina! chonga nanohade chochonga hoi!)(ヘボン式ローマ字)
(tyon kina tyon kina tyon tyon kina kina tyonga nanohade tyotyonga hoi )(日本式ローマ字)

   ※ローマ字参考サイト 金子良馬の実用タタミ一点張り『ローマ字表記の種類』
  
 以下、ローマ字は、ヘボン式で記述します。 


1911年「宴会お座敷芸」大通散士 編、盛陽堂、明治44年
国立国会図書館デジタル化資料 P.54-55 より引用

「蝶ン來ナ拳」(ちょんきなけん、蝶ん来な拳、チョンキナ拳、Chonkina-Ken) 

蝶來な拳は、蝶を呼ぶありさまを見せる手振りで、矢張り東八拳を打って、勝負を極める(きめる)のです、その歌は

 蝶ン来ナ蝶ン来ナ 蝶が菜で 蝶々がホイ

 ちょんきな ちょんきな ちょうが なのはで ちょちょんがほい)
(チョンキナ チョンキナ チョウガ ナノハデ チョチョンガホイ)

(※以下の文面記述より 「蝶ン来ナ蝶ン来ナ 蝶ン/\ 來ナ/\ 蝶が菜で 蝶々がホイ」 )

(chon kina! chon kina! chon chon kina kina! chouga nanohade chochonga hoi!)

と言う歌で「蝶ン」(ちょん)と言う時に、自分の掌を合せ「來ナ」(きな)と言って、又對手(あいて)の左の掌と合せ「蝶で」又自分の掌と合せ「來ナ」(きな)で對手の右の掌と合せ「蝶ン/\」(ちょんちょん)と言う時に自分の掌を二度合せ「來ナ/\」(きなきな)で自分と對手(あいて)の左の掌とを一回合せるのです、手を合せ拳を打ちながら、蝶來ナ/\を唄うのであります、


1909年「明笛清笛独習案内」香露園主人 著、松陽堂、明治42年

国立国会図書館デジタル化資料 P33より引用

「狐拳」で、ちょんきな出ています。

明笛清笛独習案内狐拳(ちょんきな)
明笛清笛独習案内 狐拳(ちょんきな)Kitsune-Ken(Chonkina-Ken)


1888年「音楽早まなび : 学理ハ西洋歌曲ハ日本」梅田磯吉 編[他]、早矢仕民治、明治21年

音楽早まなび表紙
国立国会図書館デジタル化資料 音楽早まなび 表紙

「ちよんきな」(ちょんきな、Chonkina)

 ちょんきな ちょんきな ちょんちょん きなきな ちょんがなのハで チョチョンガヨイ
(chon kina! chon kina! chon chon kina kina! chonga nanohade chochonga yoi!)

音楽早まなびちょんきな
音楽早まなび ちょんきな


1898年「音曲全書 第1編」後藤新吉 著、伊沢駒吉[ほか]、明治31年

国立国会図書館デジタル化資料 P21より引用

「狐拳」(きつねけん、Kitsune-ken)

 チョンキナ チョンキナ チョンチョン キナキナ チョンガ ナノハデ チョチョンガホイ」
(chon kina! chon kina! chon chon kina kina! chonga nanohade chochonga hoi!)

音曲全書狐拳ちょんきな
音曲全書 狐拳(ちょんきな)


1898年「尺八独稽古」後藤露渓 (新吉) 著、岡本偉業館、明治31年

国立国会図書館デジタル化資料 P12より引用

「狐拳」(きつねけん、Kitsune-ken)(二拍子)

 ちょんきな/\、ちょん/\きな/\、ちょんが菜の葉でちょ/\んがほい。
(chon kina! chon kina! chon chon kina kina! chonga nanohade chochonga hoi!)


1893年「手風琴奏法指南並ニ和洋流行楽譜集」三谷種吉 著、上田貞治郎、明治26年

国立国会図書館デジタル化資料 P9より引用

「チヨンキナ」(ちょんきな、Chonkina)

 チョンキナ チョンキナ チョンガ ナノハデ オチョイノチョイ
(chon kina! chon kina! chonga nanohade ochoino choi!)


1898年「横笛独まなび(ハーモニカ). 上巻」倉田初四郎 編、十字屋、明治31年国立国会図書館デジタル化資料 より引用

「ちょんきな」(Chonkina)

ちょんきな ちょんきな ちょんちょん きなきな ちょんがなのその
ちょちょんがよい ちょちょんがよい

(chon kina! chon kina! chon chon kina kina! chonga nanosono chochonga yoi! chochonga yoi!)


1898年「横銀笛独まなび(フラジヨレット) 上巻」倉田初四郎 編、十字屋、明治31年国立国会図書館デジタル化資料より引用

「ちょんきな ちょんきな」(Chonkina, Chonkina)

ちょんきな ちょんきな ちょんちょん きなきな ちょんが なんのその ちょちょんがよい
665 665 6677 6532 0335 6532 3565 60

(chon kina chon kina chon chon kina kina chonga nannosono chochonga yoi!)


●1918年「あごはづし : 抱腹絶倒」青文堂、大正7年
「蝶きな拳」国立国会図書館デジタル化資料P44より

蝶来な蝶来な、蝶々来な/\ 蝶が菜の葉で ヨヽイがホイ

(ちょうきな、ちょうきな、ちょうちょうきなきな、ちょうがなのはで、よよいがほい)
(chou kina! chou kina! chou chou kina kina! chouga nanohade yoyoiga hoi!)


●新編「大言海」大槻文彦 著、富山房、昭和31年3月新訂版初版、昭和63年3月

【ちょんきな】P.1344 より引用
 狐拳(きつねけん)ヲ打ツトキニ唱フル語。即チ、
  ちョんきな、ちョんきな、ちョんちョんきなきな、ちョんがなのはで、ちョちョんがほいト云フ。
  (ちょんきな、ちょんきな、ちょんちょんきなきな、ちょんがなのはで、ちょちょんがほい と言う)
(chon kina chon kina chon chon kina kina chonga nanohade chochonga hoi!)


1926年「瓦版のはやり唄」三田村鳶魚 著、春陽堂

ちよんきな替唄忠臣藏 P190-192 国立国会図書館デジタル化資料 P110

二上り
「ちょんきなぶし替唄ちうしん蔵」

 
●1896年「ザ・ゲイシャ(芸者)、The Geisha」シドニー・ジョーンズ ( Sidney Jones )(1861-1946)が書いたミュージカル・コメディ(台本 ホール、作詞 グリーンバンク、音楽 ジョーンズ)[lyrics by Harry Greenbank ; music by Sidney Jones]

「チョン・キナ、チョン・キナ、チョンチョンキナキナ、長崎、横浜、函館ホイ」


※最初は、「ジョン来な(Jon-kina)」だった?


・2005年「ロマン派音楽の多彩な世界: オリエンタリズムからバレエ音楽の職人芸まで」岩田 隆 著、朱鳥社 P161~より引用

・・・全曲中最もユニークなこの節は、日本調でもあり、聴き方によっては中国風でもある。この歌の作者など確かな資料は伝わっていないが、どうやら日本が外国に開港したことに伴い、横浜あたりの外国人相手の芸者たちの間で広まった、いわゆる「お座敷ソング」であるというのが有力である。
・・・
1859年(安政六年)に長崎、神奈川(現在の横浜)、函館の港が海外に開かれ、これを安政の開港と呼んでいるが、それ以来これらの港には外国船が出入りするようになり、外国船員や商人たちを相手にする宿や遊里も増え、その中からこの歌が生れたということである。
ところがその歌詞は、1933年(昭和八年)の「人情地理」によれば、

「ジョン来な、ジョン来な、ジョンジョン来な来な、長崎、横浜、函館ホイ」というものであった。

つまり、この頃入国したイギリス人にはジョンという名前が多かったので、ジョンを外国人の代名詞みたいに使い、かくしてこういう歌が生れたというわけである。
ところがいつのまにか、この「ジョン」が「チョン」になり、「チョンキナ節」として広まることになった。
さらに、この誤った歌詞が日本人の間だけでなく、外国人の間にも知られるようになった。・・・・・・この歌には珍妙な踊りがつけられ、はては横浜の西洋人相手の宿を「チョンキナ宿」と呼ぶようになり、この替え歌までできたと伝えられている。(以上 引用)


「ジョン来な、ジョン来な、ジョンジョン来な来な、長崎、横浜、函館ホイ」
 (Jon kina, Jon kina, Jon Jon, kina kina, Nagasaki, Yokohama, Hakodate hoi!)


下記サイトも参考にさせていただきました。

・東京大学大学院 総合文化研究科 表象文化論研究室
「オペラは自画像を描く」 2008/06/16 長木誠司


※下記サイトに、楽譜がのってます!

ベイラー大学 フランシス•G•スペンサーコレクション
Baylor Frances G. Spencer Collection of American Popular Sheet Music

Song "Chon Kina"

Chon kina, chon kina,
Chon chon, kina kina,
Nagasaki, Yokohama,
Hakodate hoi!
・・・・・・
・・・・・・
Kirigirisu hoi!

チョン キナ、チョン キナ
チョン チョン キナ キナ
長崎 横浜
函館 ホイ

・・・・・・

きりぎりす ホイ!


※「きりぎりす」が気になりますね。


●1893年手風琴独奏自在
新井清次郎, 柏原由二 編 (藜光堂, 1893)

「きりぎりす」

いやととびぬくのおむりにとつかまいて~


※こりゃ、ちょっとどうなんでしょうか(^_^;)

 北原白秋の著作「東京景物詩」の中にも『CHONKINA』あります。

そして、『鬼百合』きりぎりす

1913年「東京景物詩」及其他(東京景物詩 及その他)、北原白秋 著、東雲堂書店

国立国会図書館デジタル化資料 P175-177より引用

CHONKINA.

“Chonkina ! chonkina !
Chon-chon kina- kina !
Chon ga nanoso de,
Cho-chon ga yoi !...........”

「赤い夕日、
活動写真見たいなキラキラが、あのやうに、あれ、
御覧な。
お向ふの三層櫻(さんがい)の高い部屋の障子に、・・・
・・・
あれ、あの手も真赤な狐拳(きつねけん)!」

“Cho-aiko ! Cho-aiko !..........”

・・・
・・・
欄干(てすり)では何時までも何時までも
気まぐれな狐拳(きつねけん)。

“Cho-aiko ! Cho-aiko,
Chon-chon aiko– aiko,
Chon ga nanoso de,
Cho-chon ga yoi !...........”

“Chonkina ! chonkina ! ..........”


『鬼百合』P184-より引用

夏の日の東京に歌澤のこころいき・・・・・・
・・・
日がそそぐ・・・・・・銀色のきりぎりす
・・・
晝寝(ひるね)の夢の凄さ、
・・・
日がそそぐ・・・・・・わかいお七の半鐘か、死ぬるきりぎりすか。
銀の光の細かな強いすすりなき。
・・・

1926年「青塗船 : 民謡集」藤淵忠一 著 (熊本民謡研究会)

国立国会図書館デジタル化資料 インターネット公開

目次「筑紫の波」
P32より引用

「きりぎりす」
ないてくれ ないてくれ
俺も一人で ないてるよ
球磨川堤の きりぎりす

星もない 月もない


目次「鐘の音」
P90より引用

「きりぎりす」
今宵一夜を なけばとて
別れゆく身の 我れなれば
遠い国とて 云ふごやなし
ないてくれるな きりぎりす


●1951年「新土佐節」
玉枝、君葉、ぽん子 (コロムビア)

「きりぎりすは羽根で啼くかよ 蝉ゃ腹で啼く わたしゃあなたの 胸で泣くよ そうだ そうだ まったくだよ
・・・」

●「きりぎりす~今別れ」
きみ栄の都々逸「決定版 都々逸入門」ビクターエンタテインメント

〽お声はすれども姿は見えぬ ぬしは草葉のきりぎりす

〽今別れ 道の半丁も行かない内に こうも逢いたくなるものか


●西沢 爽 著「日本近代歌謡史」(桜楓社、平成2年11月)によりますと、
(第二十章 新吉原の洋風廓 P.1181~)

チョチョンガヨヤサーで負けた者が脱いでいくような「横浜拳」、一般に「チョンキナ踊」という踊が流行したとあります。(P.1194参照)

※ 「ジョン来な」になって、あやしげな話になってきました(^_^;)

●西沢 爽 著「日本近代歌謡史」の
P.1193 に、「チョンキナ拳を派生させたと思われる拳唄の一つ」として挿絵がのっています。

‘流行はやりうた とてつるけんぶし’ 

1925年「鳶魚劇談」三田村鳶魚 著、春陽堂

 傳統した明治初年のトテツル拳(伝統した明治初年のトテツル拳)


1926年「瓦版のはやり唄」三田村鳶魚 著、春陽堂

目次:新板流行唄(はやりうた)とてつるけんぶし

▲かねがかたきで、ごうよくは〽よぶもおい/\・・・
・・・

▲扨(さて)もはやるは八代目、はいるおきやくは多見蔵、つね世と粂三でまいりましょ(合)じやんじやか/\大友三津右衛門芝十郎はことら、はう/\なかつるてん、三升でサアきなせへ、チョ/\ンガヨイヤサ

弘化四年河原崎座の春狂言に笑門俄七福といふ所作があつた、其の拳詞(けんことば)が大受けであつて、様々に模倣さて當時の大流行となつた、さうして明治になつても彼(か)の拳詞の模倣が新作された、それについては既刊鳶魚劇談の中に述べて置いた。 (以上 引用)


※1847年 「チョチョンガヨイヤサ」?

※「東京ちょんきな」

※「お花見チョンキナ」

 
☆「吉原 朝馬」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』最終更新 2012年7月9日 (月) 12:45 によりますと、

落語家の3代目 吉原 朝馬(よしはら ちょうば)さんの、出囃子が『ちょんきな』だったそうです。


☆端唄、俗曲「深川」の狐拳(きつねけん)のところのポーズです。(浅草幇間 桜川米七さん)

チョイナ~
坊さま ハイハイ 二人で よし町(よしちょう)通い サアテ
のぼる段梯子 アレワイサノサ いそいそと
隣り座敷をながむれば 差しつおさえつ アレワイサノサ 狐(きつね)けん サテ

深川の「狐拳」のポーズ桜川米七さん
浅草幇間 桜川米七さん


※現代の芸者さん幇間さんの、優れた芸を、こてちゃい「浅草芸者幇間さん」で少しばかりご紹介しておりますので、よろしかったらご覧くださいませ。


※都々逸、記事へのリンク※
世の中面白ぶし
月雪花撰文句とどいつぶし
尾上の松夫婦とど一
あさ直しおつこち都々一ぶし
新内心いきとど一/
しん内心いき都々一

☆拳(けん、ken)の記事もよろしかったらご覧ください

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明治31年「横笛」はハーモニカで、 明治26年「手風琴」はアコーディオン・・・銀笛、明笛、清笛、月琴、陽琴、吹風琴いろいろ流行ったのですね

「横笛」と書いて、ハーモニカのことを指していたのですね!!

宴会お座敷芸 → チョンキナ拳 → チョンキナ → 横笛独まなび

という検索の流れになりまして、

横笛が、篠笛のことだと思ったら、ハーモニカ!!

おもしろいと思いましたので、のせます。

チョンキナについては、後日。

国立国会図書館デジタル化資料(インターネット公開、保護期間満了)からの引用です。





横笛(はーもにか、ハーモニカ、マウスハーモニカ、マウスオルガン、西洋横笛)

■明治31年「横笛独まなび」(はーもにか、ハーモニカ)倉田初四郎 編 、十字屋、1898年

横笛獨まなび表紙
横笛獨まなび表紙

P2 (デジテルP7)より引用

「横笛」

横笛は原名を(マウスハーモニカ)と稱し(称し)音色頗る(すこぶる)優美にして外観絶美なり而して雑にも容易に吹奏し得べきものにして其種類の如きは過多ありと雖も(いえども)之を概〇するときは其の〇子を異にするもの實に(じつに)下の五種に過ぎず、
1.今假りに(かりに)甲種と称するものは第五音に始まり戀て十六音域或は二十音と有し其形・・・
2.乙種は第四音に始まり・・・
・・・
5.・・・

横笛獨まなび1
横笛獨まなび

横笛獨まなび凡例
横笛獨まなび凡例


■「陽琴独習書」岩崎亀次郎 著、十字屋楽器部、1907年

陽琴独習書、銀笛、横笛の説明
陽琴独習書、附録-流行楽器使用法、銀笛、西洋横笛の説明

西洋横笛、原名を「ハーモニカ」又は「マウスオルガン」と称し・・・ の記述あり。


明治43年には、もう「ハーモニカ」で譜面が出ています。
もうちょっと調べると、移り変わりがわかるかもしれませんね。


■明治43年「ハーモニカ独案内」 : 音譜正確 野田桂華 著、沢田栄寿堂、1910年

ハーモニカ独案内表紙
ハーモニカ独案内表紙

ハーモニカ独案内P4
ハーモニカ独案内

「ハモニカ」 とも書いてあります。





銀笛(フラジヨレット)


■明治31年「銀笛独まなび」(フラジヨレット、フラジョレット)上巻、倉田初四郎 編、十字屋、1898年

銀笛獨まなび表紙
銀笛獨まなび表紙

銀笛獨まなびフラジョレット
銀笛獨まなびP2 (デジテルP4) フラジョレット

「銀笛」

銀笛は原名を(フラジヨレット)と稱し(称し)西洋楽器中之を奏するに最も簡易にして且つ優美なる音色を○するものなり而して其種類數多あり即ちブリキ製真鍮製ニッケル製アンチモニー製等あれども其奏法は何れも異る(ことなる)ことなし但(ただし)大小数種は其調子の高低に依るものなり
當今最も流行するところの銀笛の音階〇に奏法曲譜等を記さんに左のごとし

銀笛獨まなび音階の図
銀笛獨まなび 音階の図





手風琴(しゅふうきん、アッコルデオン、アコーディオン)


■明治26年「手風琴奏法指南」(しゅふうきんひきかたしなん)並ニ和洋流行楽譜集 三谷種吉 著、上田貞治郎、1893年

German Accordeon

「手風琴」

手風琴使い方
手風琴使い方

手風琴は原名を「アッコルデオン」と申しまして、・・・

の記述が。

アコーディオン


■明治26年「手風琴速成独習自在」 三田村楓陰 著、和田安治郎、1893年

手風琴速成独習自在-手風琴の図2
手風琴速成独習自在-手風琴の図2

手風琴速成独習自在-手風琴の図1
手風琴速成独習自在-手風琴の図1


■「陽琴独習書」岩崎亀次郎 著、十字屋楽器部、1907年

陽琴独習書、手風琴の説明
陽琴独習書、附録-流行楽器使用法、手風琴の説明






吹風琴(すいふうきん)


■明治31年「吹風琴独案内」(吹風琴唱歌軍歌俗曲清楽独案内)吉武常吉 著、1898年

吹風琴独案内唱歌軍歌俗曲清楽表紙
吹風琴独案内 表紙

吹風琴独案内唱歌軍歌俗曲清楽楽器について
吹風琴独案内


■明治34年「新撰吹風琴独案内」成斎楽人 著、盛林堂、1901年

新撰吹風琴独案内表紙
新撰吹風琴独案内表紙

新撰吹風琴独案内-吹風琴の図
新撰吹風琴独案内 吹風琴の図


■明治41年「最新流行新曲吹風琴独稽古」(すいふうきんひとりけいこ)葭田東海 編、名倉昭文館、1908年

吹風琴独稽古楽器について
吹風琴独稽古


■明治42年「吹風琴独習」(音楽独習全書) 津田峰子 編、修学堂、1909年

吹風琴独習表紙
吹風琴独習表紙


■明治34年「新版吹風琴月琴鉄琴独まなび」池田長七 編、池田鉄琴製作所、1901年

鉄琴独まなび吹風琴
風琴月琴鉄琴独まなび 吹風琴

「佳人才子の携帯楽器」かじんさいしのけいたいがっき 好音舎製 吹風琴  とあります。


※「吹風琴」で検索かけますと、写真が出てました。





月琴(げっきん、moon guitar)


■明治33年「明笛胡琴 月琴」音曲全書、山田要三 著、又間精華堂、1900年

明笛胡琴月琴表紙
明笛胡琴月琴 表紙

明笛胡琴月琴-月琴の説明
明笛胡琴月琴-月琴の説明


※参考 ウィキペディアに、「月琴を弾く娘」(彩色、1890年、ライムント・フォン・シュティルフリート撮影)が載っています。素敵ですね。

「月琴」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』最終更新 2012年7月21日 (土) 10:40






鉄琴(てっきん)


■明治34年「新版吹風琴月琴鉄琴独まなび」池田長七 編、池田鉄琴製作所、1901年

鉄琴独まなび説明
風琴月琴鉄琴独まなび 鉄琴説明





陽琴(ヨーキン、よーきん)


■明治40年「陽琴独習書」岩崎亀次郎 著、十字屋楽器部、1907年

陽琴独習書-表紙
陽琴独習書 表紙

陽琴独習書奏法大意
陽琴独習書 奏法大意

陽琴独習書、練習曲
陽琴独習書、練習曲






明笛、清笛(みんてき、しんてき)


■明治34年「明笛流行俗曲」(音曲全書) 後藤新吉 著、又間精華堂、1901年

明笛流行俗曲表紙
明笛流行俗曲 表紙

明笛流行俗曲吹奏法
明笛流行俗曲 明笛吹奏法  明笛は、篠笛を吹くように・・・との記述あり。


■明治26年「物識天狗」 僧正坊 閲[他] 、藍外堂、1893年

物識天狗、清笛、明笛
物識天狗、清笛、明笛


■明治43年「清笛明笛独習自在」 町田桜園、盛林堂、1910年

清笛明笛独習自在P4
清笛明笛独習自在 デジタルP4

清笛明笛独習自在P5
清笛明笛独習自在 デジタルP5

清笛明笛独習自在P5-2
清笛明笛独習自在 デジタルP5


※参考

「笛」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』最終更新 2012年10月25日 (木) 20:15 より以下一部引用

明笛(みんてき)- 明楽に用いる竹製の横笛。明楽は1629年に日本に入った明朝の音楽で一時京都の上流社会で大流行した。吹き口から先の頭部が細く、指孔は6個で吹き口と指孔の間に竹紙(竹の内側の皮)を張るための響孔があるのが特徴。清楽の流入とともに清笛にとって替わられた。また、清笛を含めて明笛ともいう。日本の祭囃子に用いられる6孔の篠笛の中には、明笛あるいは清笛が簡素化したと思われるものもある。

清笛(しんてき)- 清楽に用いる竹製の横笛。清楽は文化文政の幕末に入った清朝の音楽で世俗に流行し、明清楽とも言われるようになった。形状は明笛とほぼ同じで律は異なる。明笛とあまり区別されない。日清戦争に際して明清楽は制限されたが、明笛(清笛)は長音階になっていることから大正時代まで青少年に愛奏された。



↓ 総合的にのっていました

■明治36年「鉄心琴独まなび」(鉄琴独まなび ): 最新流行 岩崎亀次郎 著、十字屋楽器部、1903年

鉄琴独まなび表紙(鉄心琴)
鉄琴独まなび(鉄心琴) 表紙


流行楽器使用法の部

・ 陽琴

・ 手風琴

・ 銀笛

・ 横笛

・ 吹風琴

・ 月琴

・ 明笛


鉄琴独まなび(鉄心琴)陽琴、手風琴
鉄琴独まなび(鉄心琴)陽琴、手風琴

鉄琴独まなび(鉄心琴)手風琴の続き、銀笛
鉄琴独まなび(鉄心琴)手風琴の続き、銀笛

鉄琴独まなび(鉄心琴)横笛、吹風琴
鉄琴独まなび(鉄心琴)横笛、吹風琴

鉄琴独まなび(鉄心琴)月琴、明笛及清笛
鉄琴独まなび(鉄心琴)月琴、明笛及清笛

鉄琴独まなび(鉄心琴)かっぽれ譜面
鉄琴独まなび(鉄心琴) かっぽれ 譜面 あまちゃでかっぽれ~

鉄琴独まなび(鉄心琴)茄子と南瓜譜面
鉄琴独まなび(鉄心琴) 茄子と南瓜 譜面


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[ 2012/11/16 19:12 ] その他 懐かしい楽器 | TB(0) | CM(0)
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